「ブンダウマムトム」(参考文献:Hướng dẫn làm món bún đậu mắm tôm và pha nước chấm đơn giản|Voice of Vietnam(VOV)放送局)
一度聞いただけでは想像もつかないこのベトナム料理名。しかし、ベトナム、特に首都ハノイを訪れたことがある人ならば、その忘れがたい香りと熱気、そして唯一無二の味わいに、強烈な記憶を刻まれているかもしれません。
本記事では、その歴史的背景や、料理を構成する各要素の役割、そして最大の謎である発酵エビ味噌「マムトム」の科学的正体や、匂いを和らげる具体的な食べ方までを深く掘り下げて解説していきます。
ブンダウマムトムとは?料理名の意味と起源
ブンダウマムトム(Bún đậu mắm tôm)とは、ベトナム北部ハノイを代表する、極めて個性的で魅力的な庶民料理です。その名前を分解すると、料理の核心が見えてきます。
- Bún(ブン): 断面が丸い、細めの米麺。そうめんのように見えますが、独特のコシがあります。
- Đậu(ダウ): 豆腐。特に、厚揚げのように表面をカリッと揚げたものを指します。
- Mắm tôm(マムトム): アミ(小さなエビ)を塩漬けにして発酵させた、強烈な香りと塩味を持つ紫色のペースト状調味料。
つまり、料理名は「米麺と揚げ豆腐を発酵エビ味噌だれで食べる料理」という意味になります。
その起源は、ハノイの旧市街、36通りが入り組む路地裏の屋台から始まったとされています。もともとは、安価で栄養価の高い豆腐と米麺を、労働者が手早く食べるためのシンプルな食事でした。それが時代と共に、茹で豚やハーブなどの付け合わせが加わって豊かになり、今ではハノイっ子のソウルフードとして、またベトナムのディープな食文化を体験したい観光客にとって必食の名物料理へと昇華したのです。
(参考文献:Bún đậu mắm tôm: A Northern Vietnamese Culinary Adventure|Vietnam Tourism)
主な構成要素と味の特徴
ブンダウマムトムは、一つの盆や皿の上に、様々なパーツが盛られて提供されるのが一般的です。それぞれが独立していながら、口の中で一つになることで完成する、まさに「食べるオーケストラ」です。
- ブン(米麺): 主食となる米麺は、食べやすいように一口大の塊に固められています。淡白な味わいで、主張の強いマムトムのタレや他の具材の味を、優しく受け止めるキャンバスのような役割を果たします。
- 揚げ豆腐(Đậu phụ rán): この料理のもう一つの主役。四角く切った豆腐を高温の油で揚げ、外は黄金色でカリッと香ばしく、中は絹ごし豆腐のようにふわふわとした食感のコントラストがたまりません。揚げたての熱々が最高です。
- マムトム(Mắm tôm): ブンダウマムトムを象徴する、紫色のつけダレ。強烈な発酵香と鋭い塩味が特徴ですが、その奥にはアミノ酸由来の非常に深い旨味があります。これがなければ、この料理は始まりません。
- 付け合わせ(Đồ ăn kèm): 店によってバリエーションがありますが、定番は**茹で豚のスライス、豚のモツや腸詰めのソーセージ(Dồi)、サクサクの揚げ春巻き(Nem rán)**などです。これらがボリュームと味の多様性を加えます。
- ハーブと野菜: 大量のフレッシュハーブも不可欠です。香りの強い**大葉やミント、ベトナムしそ(ティアト/Tía tô)**などが、濃厚な料理全体を爽やかにリフレッシュさせてくれます。
栄養的には、豆腐と豚肉から良質なタンパク質、米麺から炭水化物を摂取でき、揚げ物による脂質は高めですが、ハーブ類がビタミンやミネラルを補ってくれる、バランスの取れた一品です。(100gあたり推定:約150kcal, タンパク質 8g, 脂質 7g, 炭水化物 14g)
(参考文献:The Anatomy of Bun Dau Mam Tom|Saveur)
マムトムの香りと旨味の科学
多くの人が躊躇するマムトムの独特な香り。しかし、その正体を科学的に理解すれば、それはただの「臭い」ではなく、食文化が生んだ「芳香」であることがわかります。
- 香りの正体: マムトムの強烈な香りの主成分は、トリメチルアミンなどの揮発性アミン類です。これは、アミ(エビ)が持つタンパク質やアミノ酸が、発酵の過程で微生物によって分解されることで生成されます。魚介類が腐敗する際に発生する匂いと似た成分ですが、塩漬けによる適切な発酵管理下では腐敗ではなく「うま味」へと変化します。
- 旨味の秘密: 発酵の過程でタンパク質が分解されると、うま味成分の代表格であるグルタミン酸が大量に遊離します。さらに、アミ自身が持つ**核酸(イノシン酸など)**も含まれており、この二つのうま味成分が出会うことで「うま味の相乗効果」が生まれ、ただしょっぱいだけではない、強烈で後を引く旨味が生まれるのです。これは、日本の鰹節と昆布だしの組み合わせと同じ原理です。
- 匂いを和らげる3つの魔法:
- ライム果汁(酸): マムトムにライムを搾ると、酸性のクエン酸がアルカリ性のトリメチルアミンを中和し、揮発しにくくします。これにより、刺激的な香りが劇的に和らぎます。
- 唐辛子(カプサイシン): 唐辛子の辛味成分カプサイシンが、味覚と嗅覚に強い刺激を与え、マムトムの香りを相対的に感じにくくさせます(マスキング効果)。
- 砂糖(甘味)と混ぜる: マムトムに砂糖を加えてよくかき混ぜると、粘度が増して香りの分子が飛びにくくなるほか、甘味が塩味や香りの鋭さを和らげ、味をまろやかにします。現地では、白く泡立つまでかき混ぜるのが美味しいタレの秘訣とされています。
(参考文献:Chemical and sensory characteristics of fish sauce|ScienceDirect)
ブンダウマムトム現地式の食べ方手順
ブンダウマムトムは、セルフサービスで完成させる料理です。正しい手順を知れば、美味しさは格段にアップします。
- 【タレを育てる】
まず、目の前に置かれたマムトムの小皿に、添えられたライム(または金柑)をたっぷりと搾り入れ、お好みで刻み唐辛子と砂糖を加えます。そして、箸や小さな泡立て器で、白っぽくフワフワに泡立つまで、力強くかき混ぜます。この工程が、香りをマイルドにし、旨味を引き出すための最も重要な儀式です。 - 【一口セットを作る】
箸で、揚げ豆腐、ブン(米麺)、茹で豚、そして好みのハーブを一口で食べられる分だけ取り、重ね合わせるようにして持ちます。これがあなただけの「オリジナルの一口」になります。 - 【タレにディップして、一気に】
②で作った一口セットを、①で育てたマムトムのタレに軽く浸します。つけ過ぎは禁物です。そして、躊躇せず一気に口へ運びましょう。カリッ、フワッ、モチッ、シャキッという食感の洪水と、塩味、旨味、酸味、甘味、そしてハーブの香りが一体となって押し寄せます。 - 【初心者はヌクチャムで】
どうしてもマムトムの香りに抵抗がある場合は、店員さんに「Cho tôi nước chấm」(チョー トイ ヌックチャム)と伝えましょう。甘酸っぱい万能だれ「ヌクチャム」を持ってきてくれます。これも立派な楽しみ方の一つです。
(参考文献:How to Eat Bun Dau Mam Tom: A Step-by-Step Guide|Vietnam Coracle)
ブンダウマムトムが苦手な人向けアレンジ
マムトムの個性が強すぎて楽しめない、あるいはもっとヘルシーに食べたい、という方のために、家庭でもできるアレンジをご紹介します。
- タレの変更: 最も簡単なアレンジは、タレをマムトムからヌクチャム(ベトナム風甘酢だれ)に変更することです。ヌクマム(魚醤)、砂糖、ライム果汁、水を混ぜるだけで作れるこのタレは、日本人にも馴染みやすく、揚げ豆腐や豚肉との相性も抜群です。
- 調理法の変更: カロリーや油が気になる方は、揚げ豆腐を**「焼き豆腐」に置き換える**のがおすすめです。フライパンやグリルで豆腐の表面に焼き色をつければ、油の使用量を大幅にカットできます。
- ヘルシー化: 麺の量を少し減らし、その分レタスやきゅうり、ミントなどの生野菜を増やすことで、全体のカロリーを抑えつつ、食物繊維を豊富に摂取できます。満腹感も得やすく、ダイエット中の方にも最適な食べ方です。
(参考文献:Healthy Vietnamese Recipes: Bun Dau Makeover|Healthline)
ブンダウマムトムのカロリー・栄養と健康面
ボリューム満点のブンダウマムトムですが、その栄養価はどうでしょうか。
標準的な一人前(揚げ豆腐150g、ブン100g、茹で豚50gなど)のカロリーは、約550〜650kcal、脂質は25〜30g程度と推定されます。揚げ豆腐と茹で豚が主なカロリーと脂質の源であり、決して低カロリーな料理ではありません。
しかし、栄養バランスという点では優れた面も多くあります。
- 高たんぱく: 豆腐と豚肉から、良質な植物性・動物性タンパク質を同時に摂取できます。
- 野菜・ハーブが豊富: 大量のハーブ類から、ビタミン、ミネラル、そして抗酸化物質を補給できます。
- 比較的低GI: 主食のブン(米麺)は、小麦粉製品に比べて食後の血糖値上昇が穏やかです。
注意すべきは塩分です。マムトムやヌクチャムは塩分濃度が高いため、タレのつけすぎや、飲み干すことは避けましょう。具材の味を活かし、タレは風味付け程度に留めるのが健康的に楽しむコツです。
(参考文献:Nutritional Information for Vietnamese Cuisine|MyFitnessPal)
ベトナムでブンダウマムトム食べるならココおすすめ店リスト(ハノイ中心)
本場の味を体験したい方のために、ハノイ市内の人気店をいくつかご紹介します。
店名 | 住所 | 営業時間(目安) | 1人予算(目安) | Google Maps |
Bún Đậu Mẹt | 102 Trần Huy Liệu, Giảng Võ | 10:00 – 22:00 | 80,000 – 150,000 VND | 地図リンク |
Bún Đậu Hàng Khay | 29 Ngõ 29 Hàng Khay, Tràng Tiền | 10:00 – 15:00 | 50,000 – 100,000 VND | 地図リンク |
Bún Đậu Cây Bàng | 129 Đại La, Đồng Tâm | 9:00 – 22:00 | 60,000 – 120,000 VND | 地図リンク |
※営業時間や価格は変動する可能性があるため、訪れる際は事前にご確認ください。
(参考文献:Top 5 Bún Đậu Mắm Tôm Restaurants in Hanoi|Hanoi Food Tour)
まとめ:ブンダウマムトム”香りの壁”を越えたらクセになる一皿
ブンダウマムトム。その強烈な第一印象は、間違いなく発酵エビ味噌「マムトム」の香りから来るものでしょう。しかし、その**「香りの壁」は、決してただの悪臭ではなく、ベトナム北部の食文化そのもの**であり、科学的な旨味の根拠に裏打ちされた、計算され尽くした「芳香」なのです。
ライムを搾り、唐辛子を加え、力強くかき混ぜてタレを「育てる」。揚げたての豆腐と茹でたての麺、新鮮なハーブを組み合わせ、自分だけの一口を創り出す。この一連のプロセスを理解すれば、ブンダウマムトムは誰でも美味しく、そして楽しく挑戦できる料理に変わります。
もしあなたがベトナムを旅する機会があれば、ぜひ現地の熱気の中でこのディープな一皿を味わってみてください。そして、日本に帰ってきてあの味が恋しくなったら、この記事を参考に、自宅での再現に挑戦してみてください。香りの壁を乗り越えた先には、きっとあなたを虜にする、忘れられない食体験が待っています。
(参考文献:Embracing the Pungent: An Ode to Mắm Tôm|Saveur)